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野村萬斎
天才に天使と鬼が降りてくる
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撮影:加藤昌人 |
「狂言を現代に演じるということは、プログラミングされたソフトである洗練された手法、型を表現手段として、作品世界を今に再創造することである」
張りのある低い声が、理知が詰まった溢れんばかりの言葉をよどみなく運んでいく。
「それは即時的な今ではなく、不朽的であるための今に切り込んでいかなければならないということでもある。伝統だけにすがってはいられない。現在と向き合うことで、狂言の現在性を確認することができる」
身にまとう品格は生来か、努力ゆえか。
「ソフトは培っていくものでもある。世阿弥から種はもらった。花を咲かせようという初心はあっても、水、肥料もやらず、害虫から守らなければ、枯らしてしまう。たとえば、この場面でどの角度で手を振りかざすのか、それはたたき込まれる。だが、時々の舞台や天井の高さ、客席の位置などを考慮してどう調整すべきか、アナログな感性を磨かなければならない」
表現のフィールドは狂言の枠を超える。テレビの時代劇からシェイクスピアの舞台まで古今東西、役どころは七変化する。
「受け継いだソフトは狂言のためだけか、広く舞台芸術という世界文化のために使うべきか。私は生きている、社会に役立っている、との自覚を他の世界に見てみたい」
話に引き込まれるうちに、生身の人間としての萬斎が消え、天使と鬼の2つの顔が見えてくる。天才は無垢、かつゾクリとさせる。
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